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トライアスロンを始めたのはいつですか
谷選手 始めたのは20歳。その前からトライアスロンは、もぅ知っていました
始めたきっかけは?
谷選手 きっかけは、僕はもともと陸上の長距離をやっていまして、それで九州を離れまして愛知県に来たんですね。
高校生の時にテレビでちょうど宮古島トライアスロンやってたんですね。それをみて、すごい感動したんです。それが、陸上とか他のスポーツは優勝とか準優勝とかじゃないと、みんな笑顔じゃないじゃないですか。
で、その宮古島を見た時に100位でも200位、もぉもっと遅い人の人、真っ暗になって返ってくる人もみんな笑顔なんですよ、ガッツポーズなんですよ!そん時に自分ですごい感動して、不思議だったんですよ。何でこの人 笑顔なんだろう、なんで遅いのに笑ってゴールしてるんだろう、って。それが、ずーぅとあったんですね、脳裏に。
それだったら自分でやってみようと思ったんですね。で、愛知県に来て1年間実業団チームで陸上やってたんですけど、故障とかケガとかいろいろあって、やめちゃったんですね。愛知の会社には残ったんですね。好きなランニングはやってたもんですから、じゃぁトライアスロンやろうって。思い立って自転車買ったのがハタチです。
そうなんですか。一回やめられてから競技
谷選手 一回やめても走るのは好きだったので、やめられなかったんですね。近くの市民マラソンとかでて、出れば速いので入賞とかしてたんですね。で、宮古島のレースが頭に焼きついていて、実業団では失敗したけれど、スポーツで何かできないのかな、と思っていたんです。
で、トライアスロンどうかなと思いました。
最初、全く泳げなかったんですよ、25mも泳げなかったんですよ。
そんなに泳げなかったんですか?
谷選手 本当に25m、50m泳げるかなぁ、というぐらいで、そこから始めましたので、いまこんなになっていますけれども、本当に、遊びのような感じで始めてます。
ではその時は、泳ぐのを一番練習されたんですか?
谷選手 それが、あんま泳がなかったです。(笑)
やっぱどうしても自分の好きな走るのと、自転車もそこそこでしたね。今考えると、あの3種目の練習でよく、優勝とかできたなと思います。
そうなんですかぁ。始められたのは20歳の88年ですよね?それでもう91年には優勝してますよね。
谷選手 そうなんです。自分でトレーニングしてて、最初に優勝したのが日本のトライアスロン発祥の地で行われた皆生(カイケ)大会で、それがきっかけですね、この道に進もうと決心したのは。
そっからですね、水泳を専門的に練習するのは。
なるほど(笑)
谷選手 なにしろそれまで、50mの市民プールで自分で必死で泳いだだけなんで。
今一番得意なのは3種目のなかでどれなんですか?
谷選手 よく言われるんですよ。これとは決めてないです。
一応トライアスロン選手なんで、3つが得意だって言ってます。(笑)
(笑)好きなのどれですか?
谷選手 面白いのは自転車ですね。道具が一番多いですし、進化するのがスゴイんです。
今はカーボンフレームで、ホイールもすべてカーボンですし、やっぱり男だからってのもあるんですけど、メカも面白いですから。
3種目とも奥は深いですけど、自転車がやっぱ一番面白いんじゃないかと思います。やっぱあのスピード感はランニングでは味わえない速さもありますから、面白いですね。
僕も今買おうと思ってるんですよ。
谷選手 本当ですか(笑)
何買おうか悩んでるんですけど。ランニングもグッズ揃えたんですけど、続かなかったので、続かないとこわいので安いところから始めようと思ってるんですよ。
谷選手 今は、探したら10万円代くらいから、カーボンフレームもありますから。
ありますかねぇ
谷選手 あります!それに部品とかも揃っちゃうんですけど。トータル的に予算をいくらって出してバイクショップに行けば、それなりのバイクは揃いますよ。
そうですかぁ
谷選手 じゃぁ、楽しみですね!その時は僕、コーチに行きますよ!(笑)
夏には武者修行に来れるようにします。
谷選手 是非是非(笑)来て下さい!
地元に伊良湖(イラゴ)大会っていうショートとミドルの大会がありますから。
それ何月にあるんですか?
谷選手 9月の5日くらいだと思います。第1週目ですね。
それを目標にがんばりますね
谷選手 ここではすごい有名なので。
僕も泳ぐ練習しないとだめですね(笑)
谷選手 そうですよ、(笑)まずは泳いでください(笑)
まぁウェットスーツもありますからね。大丈夫です。ウェットスーツを着ると沈まないですから。
そうなんですか
谷選手 腕を回すだけで、行きますから。まず沈まないですから。
一番思い出に残っているレースは?
谷選手 私が91年に優勝して、東京のトライアスロンの実業団に行くんですね。チームテイケイっていうところ、新宿にあったんですけど、今はチームなくなっちゃったんですけど。そこで3年間一生懸命トレーニングして、93年にアイアンマンのハワイ、これが世界選手権ですね。ここがみんなあこがれの大会で、世界で一番の大会っていわれているんですけど。
ここで2回目の出場だったんですけども、その時はプロエントリーで、エントリーがエイジ別とプロと別れるんですね。
そうなんですか
谷選手 プロのエントリーをすると賞金がももらえるんですね。
年齢別に分かれるのは聞いてたんですけど、別にプロがあるんですね。
谷選手 まったく別個であります。スタート時間も違います。プロはプロでスタートです。年齢は関係ないです。
そこにはじめてプロエントリーして、で、12位になりました。当時は15位まで表彰台に上がれたんですね。表彰台に上がりましたし。その当時、日本で第一人者っていわれる方を、僕がランニングで抜き去って
すごいですね(笑)
谷選手 初めて僕が、成績もみんなに認められて、その時初めて日本一って言われたんです。だからこの93年のアイアンマンハワイ、これが一つですね。そこから僕がアイアンマン一筋で行こうってなったきっかけでもあります。
それと、97年の全日本宮古島大会。何回も挑戦して日本のメジャーNo.1なんですけど。今でも毎年1500人でてますけど。ここで優勝した。
これがなんと言っても僕のなかでは思い出に残っていますね。
始められたきっかけも、この大会ですもんね。
谷選手 そうです、そうです。高校の時にこの宮古島大会をテレビで見て、第一回だけなんですね、NHKで全国放送あったのは。今は地元のテレビ局がやってるんですけど。
その1回だけ放送いたのを見たんですか?たまたま見たんですか?
谷選手 たまたま見たんです。テレビつけたら本当にみんなこうやって(両手をあげてガッツポーズ)て、何だろうなと思って、陸上だと思ったんですけど、宮古島のトライアスロンでした。
だから本当に優勝したかったですし、93年にハワイで12位になって、日本一って認められて、そっから長かったですね、97年までは。いろいろありました。スランプになっときもあったし、いやでやめようかと思った時もありましたし。
でも、本当にあん時に、97年にみんなに恩返しできたのかなと。本当に喜んでもらえたから。
レース中に考えていることはありますか
谷選手 これをしなきゃいけない、とは考えないです。天候もコンディションも変わりますから臨機応変に考えています。そうでないと長丁場のアイアンマンは戦えないです。
レースで苦しい時ってありますよね。そういう時はどうされてますか
谷選手 んー、苦しい時は苦しいですよ。でも、苦しい中での楽しみというか、そっちだと思いますね。
ただ単に苦しいとかっていうのはないです。で、僕が苦しいだけじゃなくて、レースに出ているみんなが苦しんであって、自分だけじゃないと思うと、その中でレースをやらしてもらってる喜びも大きくなっていきますね。苦しさを包み込んでくれるような。そん中で、ひとつひとつ前に進むような感じですね。
それがフィニッシュ地点、テープを切る瞬間にすべて爆発します。自分は、すべてやりきったんだという達成感。これはアイアンマンディスタンス(スイム3.9km、バイク180.2km、ラン42.2km)の方が達成感も大きいですし。
うれしい時はどんな時ですか。
谷選手 やっぱり、応援はうれしいですね。最近ゼッケンに自分の名前が書いてある時があるんですよ。海外でもありましたし。名前で呼んでもらうとうれしいですね。「新吾行けー」「ゴーゴーシンゴ」とかですね。やっぱり一体になっているというか、選手だけでレースしているんじゃないと。ボランティアの方がいて、スタッフの方がいて、みんなでレースができてるって感じがしますね。
自転車乗ってても、エイドステーションでボランティアがいないと、自分で降りてとらなきゃいけないし、食べ物もバナナも。やっぱあの人たちがいるから僕らもできるし。だから応援してもらって、僕はできるだけ、しんどい時もありますけど、応援してもらったらそれに返すようにしています、声で。声でできないときはうなづいたり、手振ったり。その時は自分としてもパワーをもらってやってるんだなって。それは嬉しいというか、心強いというか。
トライアスロンのアイアンマンはどのような競技ですか?
谷選手 一言で言うと、大自然の中で大人が本気で遊ぶって感じですか。
僕自身も今は仕事としてやっています。もともとは好きで、遊びから入ってる。で、仕事としてやっている以上は責任感も大事ですし、スポンサーのためにもやらなきゃいけない、これは一番大切ですけど、でもその中で、楽しまないとだめです。じゃないとやっていけないです。
その中で毎年毎年、トレーニングしながらでもいいですから、楽しみを見つける瞬間てあるんですね。今年のテーマをつくったりして、例えば今年はアイアンマンでバイクだけはものすごく速く走ってやりたいとか。ハワイの大会だったら、周りはあの大自然、溶岩だけなんですよ、自分との戦いなんですね。その中でそうやって楽しむとか。
やっぱり、その人その人に楽しみがあるので、大ぉーきな意味で言うと、大自然の中で水泳・自転車・ランニングで大人が遊んでるって感じですね。
海ありますし、空もすごいカンカン照りですし、ランニングに至っては地面の熱さがモワーッとしてくるんですよ。でも自分があの中にいると、これ、真面目に走ってるけど、すんごい遊んでるみたいだなって。そういうのは絶対大事だと思いますね。
 
魅力もそういうところですか、トライアスロンの魅力も。
谷選手 そうですね、自然て何が起こるかわからないじゃないですか。瞬時に変わるのを自分の中でどうやって楽しみながら、苦しみながら、それを克服して、あの長い距離を走りきってフィニッシュ地点に返ってきた時に自分はどんな思いするんだろうと、頭の中と肉体はどんな変化があるんだろうと。肉体的にはぼろぼろでも精神的にはすっきりしてフィニッシュ地点に返ってくるときあるんですよ。その逆もあります。こっち(精神的)はものすごい疲れてんのに、肉体はまだ動ける時もあります。本当に肉体と精神が一致するときってホントに数少ないんです。でも、その時が一番成績も良かったり、目標が達成できる時なんです。
それは無意識にそうなるんですか
谷選手 無意識になってます。無意識ですね。
体調がいいとかそういうのも重なってそうなるんですか
谷選手 ハイ、だから1週間前までのトレーニングが順調でもレースでは全然ダメだったりとか。その逆もありますから、何とも言えないです。僕らはそれを合わせないといけないですから、それを合わせるためにトレーニングやってるというのもあります。一般の方々はアイアンマンを完走したい、それが最大の目標で自分が達成感を味わって、疲れてるけれども楽しかったなっていう一つの思い出として、いろんな人も目標がありますけれども、これは一回走ってみると分かると思います。
ウェアやアクセサリーで気に入っている物はありますか?
谷選手 RUDY PROJECTってご存知ですか?これはツールドフランスなど自転車界では元々有名でしたが、、最近ではランナーもつけ出してきてまして、非常に日本のトライアスロンでも人気です。
一番はカスタムではないんですけれど、耳や鼻に当たる部分が自由に曲げられて、全部自分に合わせられるんです。このテンプルも、こんなに曲がっちゃいますし、鼻が低い、高い関係ないんです。
これで、ランナーにとってサングラスの一番いやなところは揺れて安定しないところですね。それが鼻や耳を調節することによってガチッとはまっちゃうんですよ。
本当だぁ
谷選手 だから、いろいろなブランドありますけれども僕はホントに好きです。つけてみてください。
マグスターっていうもんで、つけてみて下さい。
うわっ、本当だ!
谷選手 ここも見てください。この両目の間のところがステンレスなんですけれど、ここから空気が中に入れるようにして、なかでの曇り防止になっているんです。
だからサイクリストだけじゃなくてランナーにも進めてますし、これからドンドン出ていくと思います。
ジャージもですか
谷選手 違います。これはデマルキっていうイタリアのメーカーです。これ、ものすごい伸びるんです。自転車って前かがみで走るんで、きついと疲れちゃうんです。
とてもあたたかいウェアなので冬はランニングでも使います。
今着ているのは何ですか
谷選手 オルカのウェアですね。ニュージーランドのウェアブランドで、トライアスロンで世界的に有名なブランドです。コンプレッションのウェアもオルカのを着ています。
最後にメッセージを・・・
谷選手 シューズは体の中でも一番大事な足を支えているので、体と一体にならないとダメですし、いいシューズというのは必ずカラダと一体になります。
自分で探すのは大変なので、いい情報を聞いて自分に合ったものを見つけることが大事です。しっかり、自分のサイズにあったものを履くことが重要です。
そして、ファッションの一部として、自分が楽しめるように選べるのがいいと思います。


■谷新吾選手オフィシャルサイト http://shingotani.com/

◆編集後記
1月の寒空の中、撮影とお話で2時間以上お時間を頂戴してしまいました。にもかかわらず、最後までご丁寧にお話いただき、非常に感動いたしました。
夏にトライアスロン武者修行に来れるように、精進していきます。
本当に、アツい人で、出会えたことをうれしく思っています。また、大会などでもご一緒にお仕事できればと思っております。
ウラ〜ケン店長
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